恩師・日岡兼三の思い出。美術・音楽・文学から空手まで。

東村アキコさんの「かくかくしかじか」が映画化されるということでとても楽しみです。

マンガの「かくかくしかじか」は途中読めなくなるほど感動しました。傑作だと思います。

私も日岡兼三の絵画指導を受け、大変影響を受けました。高校2年から浪人中まで3年間師事しました。

自分の生き方についての指標になりましたし、作家としても強く影響されています。

昨日、一気に日岡兼三についての思い出を書き連ねました。

美術・音楽・文学・囲碁・空手など関わる事をできるだけ客観的に記したつもりです。

キーワードをコピペしてググってみてください。広い広い世界が広がると思います。

また、掃除をしていたら兼三の作品データが出てきたので公開したいと思います。

「時の堆積」というシリーズです。

思いついたままに列記したので荒い文体だと思いますが(汗

ではでは。

 

■好きなアーティスト

正確なデッサン力、徹底した描写、リアリズム、生と死、優れた抽象性、偏った美意識、そういったことに通じる作家を好んだ。

ホルスト・ヤンセン・・・呼吸するように描く、自画像のコピーが壁一面に貼ってあった、当時、最も傾倒していたように思う

デューラー・・・版画・素描が素晴らしい

パウル・クレー・・・教室に天使の大きなポスターが貼ってあった、クレーも大好きだった

アンリ・ルソー・・・素朴で素晴らしい

アンリ・マティス・・・色感が素晴らしい

エゴン・シーレ・・・先生の若いころの絵に影響が見られる

香月泰男・・・シベリアシリーズが素晴らしい

小磯良平・・・正確なデッサン

ウィーン幻想派・・・ルドルフ・ハウズナーなど好んでいた

船越桂・・・「水のゆくえ」など抽象性が美しい

ジャコメッティー・・・造形性と精神性、矢内原伊作との対話など

マーク・ロスコ・・・明快なスタイルと精神性

レオナルド・ダ・ヴィンチ・・・素描集を見せ、模写させられた

ミケランジェロ・・・彫刻も含め絶賛していた

ハンス・ベルメール、ダリ、イヴ・タンギー・・・偏愛傾向の強いシュルレアリズムを好んだ。特にイヴ・タンギーからは作風に直接の影響を受ける

アントニオ・ロペス・・・スペインの超リアリズムは素晴らしいと絶賛していた

モネ・・・深い精神性が印象派を代表する作家だ

アンゼルム・キーファー・・・鉛の造形はただ美しい

 

■アートに関する思い出

浪人中、霧島アートの森に連れて行ってくれた

県立美術館にも連れて行ってくれた

当時、高校生にとってアートの情報収集が難しかったため、日曜美術館を毎週見ろと言われていた。

 

兼三は、末原晴人にデッサンを4年間学び、かなりの腕前だった。

末原氏の指導はとても厳しく、兼三がもう少しで完成だと思って木炭デッサンを描いていると、

「デッサンがくるっている。」と言って布でバッサバッサと消してしまうようなものだったと言っていた。

しかし、そのような厳しさがとても有難く、おかげで上達できたと言っていた。

 

兼三のデッサンの指導は、ごまかしを許さない王道的な指導だった。

面を見ろ、調子を豊かに、形を把握しろ、ずっとそう言われていた。

東村さんのデッサンなど優れた見本を壁面に飾り、よく見ろ、と言われていた。

優れた作品をよく見て、ひたすら描く、それだけだった。

その徹底したデッサン指導の中に、上記のような作家、作品の話があり、経験談があり、冗談があり(笑)、

とても充実した時間だった。

 

おれは、アーティストというより職人だ、と言っていた。しかし、先生のアイデアはとても独創的で豊かであり、

デッサン力も含めた技術を伴ったアーティストだった。

 

■好きな音楽

谷川俊太郎の朗読・・・「モーツアルトを聴く人」

武満徹・・・ノヴェンバー・ステップス、秋庭歌など

クラシックをとにかく流す

モーツアルトのピアノ曲

ピアノ曲を好んだ

オーケストラは苦手だった・・・騒々しいと言っていた

バッハ・・・チェロ

ジャズ・・・チック・コーリア、ケルンコンサート

バロック音楽から、サティーなどの印象派、武満徹のような激しい音楽までクラシックを中心に流していた。

武満徹の「レクイエム」という曲があまりにも重苦しいため、

私が「先生、この曲きついです、変えてください」と言うと

「そうか、きついか!武満はきついなー!」と嬉しそうにCDを変えてくれた。感受性を喜んだのか、それとも単にドSなのか(笑)

 

■文学についても造詣が深かった

持っているたくさんの本に、自分でデザインしプリントして作った装丁をし、かっこいいやろ、と自慢していた。

私があまり本を読まなかったので詳しくは覚えてないが

純文学から現代詩まで色んな本を教えてくれた。

吉増剛造、寺山修二の詩をよく聞いた記憶がある。

先生自身も句集を作っていて、文学においても創作意欲があった。

 

囲碁をならっていた。詳しくはわからないが、

守りの姿勢が嫌いで、常に攻めの姿勢で臨んでいたらしい。

若い頃、空手をやっていたのだが、明らかに勝てない相手には、

守らず迷わず攻め、そのおかげで勝てる事があったらしい。

だが顔面狙いでいくためほとんどは肋骨を折られるなど惨敗に終わった、と言っていた。

若い頃はむちゃくちゃだったらしい(汗

 

作品データが見つかりました。古いデータですが、正確なものだと思われるので掲載したいと思います。