現在、二つの作品を制作しています。
F10号の「木漏れ日005」と、F100号の「(仮定)木漏れ日007」です。
ようやく本制作に入ることができ出しましたのでお知らせ致します。
ここ数カ月、毛虫に刺されたり、腰を痛めたり、家族が長期旅行に行ったりとバタバタしておりまして、そんな中で色んな絵画の構想を何度も練ってきました。
閃いては捨て、閃いては捨て、飽きる事なくブレインシャッフルを行っていました。
そして最終的に、昨年たどり着いた「木漏れ日」シリーズを続けるべきだ、という結論に至り本制作を始めたところです。
最近、HP上で発信し続けている「写真」が表現として全面に出ていますが、
私の一枚一枚の絵画制作にかける時間が長いだけで、絵画と写真の比重は同じくらいの重さがあります。
最近の写真はスナップの傾向があるため量が多いです。そういう表現なのです。
そういえば、ごく最近、朝、早起きをして歩いていたら、思いがけない写真が撮れました。
この写真なんですが、朝陽が、地平線と低い雲の隙間に鈍く光っていて、風景としては不気味な雰囲気だったんですね。
小さく写っているのがオーシャン45でそこにも怪しく雲がかかり、カメラがなかったのでとっさにiphoneで撮りました。
この写真を俯瞰して見ると朝陽の部分が瞳に見えて、笑う切れ長の目のようでその不気味さが伝わるのではないかと感じました。
この時は、紫陽花の撮影場所の下見をしていたので、この写真は思いがけない副産物でした。
このように、写真を表現の一つと位置付けていると、思いがけないチャンスが時々あります。絵画を制作している時も、描きながら思いがけない表現に至ることがあります。常にアンテナを張ってないと、良い表現を採り逃してしまうのです。
長くなりましたが、お伝えしたい事は、私の全ての表現が一貫性があるわけではありませんが、
いつか一つのメッセージにつながるようにと日々アクションを起こしているのです。全ては同時並行的なのです。
思いつきに終わらぬよう精進致しますので、どうかこれからも見守ってください。
コメントをお書きください