ニューミュージアムに行ってきた。

今回は長いです(笑)

 

先日、ニューミュージアムに行ってきた。

2007年にマンハッタンにオープンしたニューミュージアムは

現代アート専門の美術館で

日本人建築家ユニットSANAAと、ゲンスラーによって設計された。

この建物は箱を積み上げたような外観で、

SANAAらしいデザインだと感じた。

ただおもしろいカタチをしているわけではなく、

この通りの建築基準に従い設計されている。

通りに面する建物の高さに基準があり、

その基準以下の高さの建物にするか、

基準以上の面を、後方に引っ込めないといけない。

よく日本のビル街で、建物の天井が斜めになっているのは

似たような理由である。

SANAAとゲンスラーは、その基準を満たす方法として

積み上げた箱が、トン、トン、トン、と自然に後退するようにデザインした。

当時としては画期的なデザインで

現代アートを象徴するような斬新さがあった。

 

私が行った日は、なんと2~5階が展示準備中で、

1階と6階と地下1階しか観ることができない日だった。

だが、学生料金が通常10ドルのところを

1ドルでいいよ、ということで

大体100円で鑑賞することができたのだ。

ラッキーなのかアンラッキーなのかわからないが

エレベーターでとりあえず6階に向かった。

壁面には直接グラフィックが描かれ

備え付けのモニタとヘッドフォンとプロジェクターが展示してあった。

 

私は現在、映像作品に挑戦中で、

学校で観た明快なわかりやすいショートムービーの影響を受け

自分なりのプランを考えていた。

6階は映像だらけだったので、

またまたラッキーと思い、

いちばん大きなプロジェクターの映像をしばらく観ていたのだが、

・・・わからない。奇妙な踊りや歌が歌われていた。

他の映像も観たが、座った男性を若い人々が囲んで

全員で人差し指だけで持ち上げる、というような映像があったり・・・。

よく観ると、壁のグラフィックもそういった感じだった。

密教やヒッピーの世界と通じることは理解できたのだが、

それを感覚的に楽しむことはできなかった。

 

とりあえず、地下1階の常設展も観てみようと向かった先には、

またまた難解な映像作品。断片的な映像が次々と映し出される。

難しい単語の混じった文章が添えられていたので、

持ってきたカメラで撮って、自宅で翻訳することにした。

 

帰って翻訳しようと試みたのだが、これもまた難しかった。

例えば、

「古いスカンドマスク、または恥ずかしいマスクが言及している

ハナー・ブラック(作家名)のビデオ、クレジット【2016】(題名)は、

社会的侮辱の違いと相互に関係する、

と同時に民族的、経済的不平等の存在を深める傾向にあると言及している・・・」

と言った具合だ。この翻訳だけでヘトヘトに疲れた。

 

おそらく、ニューミュージアムの作品は、

事前の知識や、深い見識があって、初めて「理解」できるのだろう。

イメージとしてはクールでかっこ良いので、

創る側の人間としては、

何度も観ることが必要であり、そして知識の必要性を感じた。

 

それから浪人時代、師の故・日岡兼三から

「現代詩を読め、言葉をイメージで感じろ。」

と言われたのを思い出した。

日常的ではない、

現代アート独特の論理と感覚の慣れで楽しめるのかもしれない。

 

Mr.難解、と言えるようなニューミュージアムだったが、

帰り際、大勢のスーツ姿の人々がカウンターに並んでいた。

1階にはカフェがあるのだ。

確かに、現代アートに囲まれたクールな空間は居心地が良い。

今度は友達とそういった遊び感覚で来るのも良いな、

と新しい楽しみをみつけた平日の夕方だった。